ミヒャエル・エンデ 作 1929-1995年
【はてしない物語】
こちらは1970年代の本です。映画化されたりもしていましたね。
原作の本を読んだ事がなかった事と、映画の内容もおぼろげにしか覚えていない為、先入観なく読めるかなと思い、今回で読んでみました。
まず文章としては、児童文学というジャンルであり、中学以上と本の表紙には書かれていたが、私のような中年男性の心もガンガンと揺さぶってくる、非常に深い作品でした。子供の時に読んだという人でも、大人になってから是非もう一度手に取ってもらいたい本だと感じました。
あらすじとしては、本好きな少年が本の世界の中に入り込んでしまうという、ここだけ切り取ってしまうと、ありふれたファンタジー、あるいは今やスタンダードな「異世界もの」のはしりと感じるかもしれません。しかも現代の「異世界もの」にもよくあるように、主人公は現実世界ではむしろ劣等感しかない少年ですが、本の世界では、ある意味チートな能力を持っています。(昔から異世界物はやっぱり人気だったんですね。)
しかし、本作は何も説明無くただ「異世界」に放り込まれるのではなく、少年は明確な意思を持って入り込むのです。最近の漫画では1話目からいきなり異世界に放り込まれるような展開が多いですが、本作はしっかりとその前の世界が描かれます。そして、異世界にいくまでのクライマックス感の最たる事や!(これが物語のちょうど中盤!)ちょうど主人公が異世界に入るタイミングで、読者自身もこの物語に猛烈に引き込まれている。という二重構造にぞわっとしました。
ファンタジー感満載の登場人物の数々でケンタウロスや岩人間?竜や夜魔に魔女等、空想世界のあらゆるものが詰め込まれたような世界の中で、外から来た人間は自分だけという特別感!(そもそも世界の名前がファンタージェン国!わかりやすい!!) 子供が読む分には、冒険活劇だけでも胸が躍る事と思いますが、大人が読んでもグサグサと胸に刺さる言葉がありました。
生じたものはまた消えうせ、生まれたものは死なねばならぬ。
善と悪、愚と賢、美と醜、全てはたがいに帳消ししあっておる。
むなしいのじゃ、全ては。本当の物は一つもない。
出典「はてしない物語」
これは太古の昔から生きる巨大ガメの言葉です。もう仏教の世界感が入ってきていますね。色即是空そのものですね。達観している亀です。ここだけ読んだら、完全にええお坊さんの説教にしか見えません。
また社会を風刺している描写も多いです。
あっちで生ける屍になって偽の存在を生きねばならん。その屍の腐ったにおいが、人間の魂を毒してるんだ。
出典「はてしない物語」
本の中の存在が人間界に行くと屍になり、人間を毒する。人間がこれを制する為に、本や空想の存在を否定したり、その存在を忘れていく。しかしそうすればする程に、本の中の存在は人間界に吸い込まれて屍になるという悪循環があるのだと、本の中の登場人物が語る。。
まさに近代化へ猛烈なスピードで駆け上っている当時。本が好きな作者の切実な思い、また子供と大人の感覚の違いに訴えかけているように感じました。空想の世界や感じたままに振る舞う事が自然だった子供の自分が、いつの間にか生活の厳しさや現実世界をわかったようなふりをして生きる。。。みんな、そんな大人になってしまったように感じませんか?
大人になってからこの本を読んで、いつの間にか失っていたものがたくさんある事に気づきました。
「それで、入り口になる扉はどうやって見つけるんだい?」
「見つけたいという望みを持つことです。」
出典「はてしない物語」
【望み】とは自分自身も知らない程に深い所にある自分の秘密【真に欲する事】であり、そこに至る道のりは遠い。主人公はたった一冊の本との出会いで自分自身の【真に欲する事】と向き合い、人間として成長する。そしてその主人公の成長に影響を受けて、周りの人間も成長していく。それは、いつの時代でも何歳でも何処で起こってもおかしくないことだと感じさせられる。
そして、作中で何度も出てくる印象的な言葉として、
けれどもこれは別の物語、いつかまた、別のときにはなすことにしよう。
出典:「はてしない物語」
そうして一つの物語(人生)は、ほかのいくつもの主人公を生み、この本を読んだ読者もまた一つの人生を歩んでいき、はてしない物語となっていく。。。
この作家が好きで、他にも何冊か読んで感想を書いています。
でもここからはまた別の話、また別の時に書く事にします。